我が家に子猫が二人来て、今日で一週間。猫は猫というだけで

我が家に子猫が二人来て、今日で一週間が経つ。猫は猫というだけでかわいいけど、子猫は、子猫だからとにかくかわいい。二人の子猫は、一人は咲さんに似ていて、みさきさんという名前で、もう一人は似てはないけどなつこくてかわいいくて、文ちゃんという名前を私がつけた。

咲さんはいないんだなあと思いながら、けれどもこの二人は二人で咲さんの生まれ変わりだと私は信じているから、いないんだなあと思うのだけれど、ほんとうにいないとは思っていない。

子猫が重なり合って眠るのを眺めて、私は酒を飲む。

みさきさんが、鼻風邪をひいていて、口を開けたまま寝ている。咲さんは風邪をひいたり病気をすることがほとんどなくて、18歳を過ぎた秋にいちど体調を壊したことがあったが、そのときは、ごはんをいっさい口にしなくなり、私の部屋の咲さん専用の椅子に、息をひそめてずっと坐っていた。あれは、ごはんを食べれば消化にエネルギーを使うことを咲さんが知っていたからで、消化のために費やされるエネルギー量というのは、ほんとうに大きいらしい。食べなければ痩せてしまうが、痩せた分は蓄えられていたものだから、少なくとも消化はしていない。とはいえ、咲さんの体はトイレットペーパの芯みたいに細くなってしまって、あのときはさすがに死を覚悟したのだけれど、そのあとすっかり治ってしまって、少しずつごはんを食べ、筋肉をとり戻し、高いところにもストンストンとジャンプできるようになった。私たちは、「スーパー咲さんだね」と口々に言い、だから、咲さんは死なないんだなと思って、安心していたら、今年の2月に死んでしまった。

会社は、1月末から自宅勤務が可能になって、それは咲さんの様態が悪くなったのとほとんど同じで、だから私はリビングでパソコン仕事をしながら、フリースの毛布に寝かせた咲さんの看病をした。生体エコーでは、ほとんど腎臓が残っていないことが分かって、尿を顕微鏡で見ると、棒状の細菌が渋谷の交差点の群衆みたいに、うようよいた。

書いているだけで泣いてしまうのだけれど、それにしても、1か月前には在宅勤務なんて考えもしていなかったので、咲さんが亡くなるまでの三週間、咲さんと過ごすために神様が世界をこうしてくれたんだなあと考えて、野球の開幕は延期になったけれど、感謝したり申し訳なく思ったりした。

話は戻るが、最初に咲さんが体調を悪くして、奇跡みたいに治ったとき、私は、もう咲さんは死なないと思ったから、2月になって死んでしまったとき、死んだ体を見ていないと何が起こったのかよくわからず、死んだ体を見ていると悲しくて悲しくてしかたがなくて、けれど、その気持ちのどこかで、死なないはずだったのにおかしなことになったと、私は感じていたという話を猫好きの人にしたら、「いえいえ、死なない猫はいません、猫も人も死ぬんです」と言うから、そんなことはないだろうと思った。