何から書こう、 書くことを生業にしているとはいえ、

何から書こう、

書くことを生業にしているとはいえ、しかし、書くことが億劫な日々。

プログラマーという職業の人に「週末は何をしているんですか」と訊ねたら、「勉強も兼ねて、ずっとプログラミングをしている」と言う。京都大学を出た人で、「ボクはセクショナリズムです」と言って、余計な仕事を引き受けない。部署のロールを超えた、いわれなき業務にはかかわりたくない、というわけだ。いっぽうで、かれは部署のロールにかんしては、きちんとやるべきことをこなしているので、セクショナリズムを周知させ、挨拶はしないし、チャットの返答は遅いし、ミーティングの声は聞きとれないほどに小さいにもかかわらず、人物としては評判があった。

かれが言う、週末は「ずっとプログラミングをしている」を聞いて、なんと異様な時間の過ごしかたなのだろうと、私は思ったのだけれど、それは条件反射的なもので、当然だけど、私がかれの週末の過ごしかたをどうこう言う権利も、必要性もない上に、私だって、同じように過ごしている。

かれの部屋には、テレビがないという。私もテレビは好きじゃないから、それはいいとして、かれはフライパンもヤカンも、皿や箸、フォークなど、あらゆる食器も持っていない。食事は、コンビニで買って、コンビニで食べる。家にゴミが出なくていい、と言う。ビールも飲まない。お菓子はそこそこ好きらしい。肌も髪も、爪も、カサカサしている、ように見える。

私は、人生の一時期の余暇を、文章を書くことで過ごしていた。文章に脈絡はあったり、なかったりしていて、あってもいいし、なくてもよかった。書きたいものを書いていたというのでもなく、読み切れるようなまとまった内容でも、垂れ流しのようないつ終わるともしれないものでもなかった。

いつ終わるともしれないものだったら、まだ終わることなく、私は書き続けていたのかとも、思う。つまり、いまは、書いていない。仕事ではなく文章を書いたのは、ほんとうにひさしぶりで、さて、何から書こうと思ったわけだ。

私は、かれとは違って、料理をする。今日は、昼こそ外食したけれど、夕飯に、豚バラスライスを炒めたのに、酒蒸しした玉ねぎ、じゃがいもを和えて、生姜とオイスターソースで味付けしたのを作ったし、子供の明日のお弁当に、豚肉の生姜焼きも準備した。あとは、詰めるだけ。