それで、ローズマリーなんだけど、

それで、ローズマリーなんだけど、

 

あんなもの、スーパーマーケットで買うのは、ばかみたい、と言う。だから、というか、私ではなくあなたが、レモングラスやバジル、ローズマリーを庭の隅のひなたで育てるのが趣味の人だったらよかったのになあと思うのだけれど、ギターばっかり弾いて、猫とばっかり遊んで、庭のハーブの話は「いいねいいね」と言うだけで、苗木すら買ったことがない。

 

鶏レバー、しかも新鮮なやつ、

 

「以前、ずっと前に、作ってくれたでしょ。鶏レバーのコンフィ。オリーブオイルに漬けたやつ。前回は、炊飯器を使ったんだっけ。低温を長時間キープする調理器なんてものもあるらしいけど、そう、会社の人が言ってたの。でも、話聞きながら、炊飯器の保温機能でいいじゃん、こと足りるじゃんって、思った。また作ってほしいな、鶏レバーのコンフィ。あ、猫たち、また喧嘩してるよ、ひどいな、みさきさん、相方いじめてる。そう、それで、明日オフィス行くから、面接なのね、フロントエンジニアにいい人いるって、生井くんの紹介なんだけど、で、ほら、明日金曜日でしょ、銀座のいつものところでワイン買ってくるから、あのお祝いもあるし、ちょっといいやつ買ってくるつもり。だから、鶏レバーのコンフィ、作ってほしいの。バゲットも調達するよ。ほら、買ってきた鶏レバー、新鮮だから。オリーブオイルで煮てさ、じわじわ煮てさ。作り方わかるでしょ、ニンニクとローリエと、ローズマリーを炊飯器の保温機能でじわじわ煮て。いっしょに食べようよ」

 

猫たちが、喧嘩してる、

 

前の猫が2月21日に亡くなってしまって、猫は弱っても、いちどだけひどく弱ったことがあったのだけれど、驚くことに、もとの元気を取り戻したから、亡くなるなんて、思いもしなかった。こんなこと、どれだけ言っても咲さんは戻ってこない。咲さんは最後、黒い液体を吐いて、全身を硬直させて、硬直? 電気椅子にかけられたみたいに、全身をこわばらせてから、動かなくなった。苦しそうだったので、「もういいよ」と私は言ったが、ずっといっしょにいてほしかった。私はずっと咲さんを抱きしめていた。咲さんに、おしまいなんかあるのだろうかと思ったが、わからなかった。

どんなに丁寧に弔おうとしても、人のような葬式を出すわけにはいかないし、それに私は、人の葬式が好きじゃない。遺体がそばにあって、言葉は無いほうがいい。咲さんを焼いてもらって、私たちは遺骨をもらって、以来、咲さんには会えていない。遺骨について、思いめぐらすというか、これは想像力なのだが、この頭蓋骨の一部は、あの咲さんの内側にあって私は手のひらでそれをも包むように咲さんの頭をなでていたことを思い出して、じょうぶな猫だったと、咲さんを思う。

ボクシングのコーチは元A級プロボクサーで、ジムの会員のなかでも

ボクシングのコーチは元A級プロボクサーで、ジムの会員のなかでも特に上手い人とスパーリングをやっているのを見たことがあるが、当たり前だけど、コーチのほうが圧倒的に上手いというか、強い。この、圧倒的にというのが重要で、ナガミネさんだってかなり強いはずなのに、まるで相手になっていない。

とはいえコーチは、背丈は高くなく、気の弱そうな、どちらかというとぼんやりした顔つきなので、服を着て、胸の厚さ、腕の太さが見えなくなると(筋トレで、筋肉が肥大化している)、決して強くは見えない。電車や繁華街で、酔っ払いにからまれたことはないかと訊いたことがあったけれど、どういう返事だったか、忘れてしまった。

私は、そもそも運動神経が悪いのでぜんぜん強くないし、タカハシさんも体が大きいだけで、パンチのフォームすらままならないのだが、二人で歩いているところに、向こうから酔っ払った若い連中が三、四人、わちゃわちゃと歩いてきて、すれ違ったずいぶんあとで、タカハシさんが、「いまのあいつら(と喧嘩になったら)、勝てるかな」と切り出して、「一人目のあいつをああして、二人目をこうして、三人目はきっと逃げ出すから、勝てる」とか適当なシミュレーションを話すのだが、実のところ、路上で殴り合いなんてやったことがない。

十年以上前に短命に終わってしまった、昭文社の『Prost!』という雑誌の創刊号に、マーク・パンサーのインタビュー記事があって、ときどき読み返すのだけれど、でたらめみたいにおもしろい。マーク・パンサー小室哲哉を乗せてジャガーを運転していると、信号待ちになって、横断歩道を渡る女の子を、小室哲哉が指差して、「あの子が一年後に東京ドームのステージに立っているところまでをシミュレートしてみろ」と言う話が特に好きで、何がおもしろいのかわからないけど、おもしろい。というか、会社とかで、黙って話を聞いていたら、いつの間にかこれと同じような話になっていて、「この人、一年後の東京ドームの話をしていたのか」と、笑ってしまうようなことがある。自覚のない名ゼリフ。

何年か前に、「暴力は嫌い、負けるから」というセリフを考えたのだけれど、これは、「ブタの歯医者さん、ハミルトン」と同じくらい、自分でもなかなか気に入っていて、負けるから暴力は嫌いだというと、「勝てるなら嫌いじゃないのか(あるいは、好きなのか)」という人がいるのだが、それは間違いというか、議論のための議論でしかなくて、もしその人が、勝てるなら暴力は好きだと思っているのなら、「勝てるなら暴力は好き」というべきである。というか、言うはずである。「暴力は嫌い、負けるから」と言っているのだから、彼/彼女は、暴力は嫌いで、負けるのである。勝つ選択肢を与えて、好きか嫌いかを訊く必要はない。 

日本語の心臓とか心をフランス語ではcœurといって、

日本語の心臓とか心をフランス語ではcœurといって、発音は「クール」で、でも「クール」と言っても、たぶん通じない。

大学2年生の中級フランス語の授業で、エアコンもない教室、夏休みの補講だったと記憶している。授業を担っているのは、非常勤講師のマダムペローといって、感情の起伏が激しい、和紙の研究をしているフランス人だった。マダムペローは、授業でしばしば金切り声をあげて学生を怒鳴ったが、私は、マダムペローに気に入られていた。気に入られるのは、それがえこ贔屓であれ、好きだ。もちろん、嫌いと思う人から、気に入られたいとは思わない。私にとって、マダムペローは、悪い人ではなかった。

パリの街を紹介したフランス語テクストが、その日の教材だった。私が和訳を進めると、あるところで、マダムペローは、「ちがうちがう」と日本語で遮った。

マダムペローは大柄で、これしか体に入らないとばかりに大きなワンピースを着ていたように思い出すのだが、そうではなかったのかもしれない。銀色の短い髪と、つまんで持ち上げたような高い鼻のかたちをおぼえている。

私は、なんでも書きたい。いま、子猫二人が部屋の中を走り回って、取っ組み合って、椅子の足の裏に貼り付けた、椅子を引きずる音を低減するフェルトを引きちぎろうとしていることも書きたい。

後日、マダムペローは、体調を崩して帰国したと聞き、そのことは別のフランス語の先生から周知されたのだが、さらにそのあと、彼女は亡くなったことを、私は知っている。たぶん、誰も知らない。和紙の研究誌に、追悼記事が書かれていた。私は、けっこう、いろんなことを知っている。

パリは、フランスの心臓部、すなわち中心であると、私は口頭で訳した。「ちがうちがう」とペロー先生は言って、「それは嘘ではないけど、テクストには書かれていない」と、フランス語で言った。

夏休みの補講に出ていたくらいだったから、たぶん点数が足りなかった私たち生徒は三人で、私を除く二人も何か翻訳してみたが、「ちがいます」と、ペローはいくらでも待ちますよと言わんばかりに、のけぞって言った。

そのころ、私はタバコを吸っていて、教室を出た廊下にも、灰皿は置いてあった。授業が終わると、廊下でタバコを吸った。中庭でタバコを吸ったときは、吸い殻を足元に捨てて、靴底で揉み消した。いちどだけ、恋人に咎められたことがあったが、何か言い返して(あるいは謝って)、それだけのことである。

私は気づいた。forme(かたち)という単語を見逃していた、訳していなかった。

「わかりました」と、私は言った。「どうぞ」と、ペロー。

「パリは、心臓のかたちをしています」

「そうよ、正解」とペローが言った。

他の生徒二人が、「ああー」と感嘆して、私は少しいい気持になるが、フランス語で書かれていることを素直に訳せば、そうなる。というか、それ以外にはならない。

私は、その半年後、フランス語の実用書の下訳のアルバイトをして、ちょっとした金額をもらう。恋人に何かごちそうした。もしかしたら、違う女の子だったかもしれない。

「心臓のかたち」は、フランス語ではforme de cœurで、cœurは英語だとheartだから、パリは「ハートのかたち」といってもいい。

「ハートを描くのは、残念」と、奥さんが言った。嫌いではなく、「残念」と言った。「やさしい心みたいなものを表現しようとすると、誰でもかれでもハートを描いて、安心しきっている」と、奥さんが言ったわけではないが、そういうことらしい。福祉関係の絵画作品なんて、ハートだらけと、奥さんが言った。だから、残念だと。

心臓と心は別物なのは、誰でも知ってるのに、ハートのかたちを描く人がいる。

「そろそろ、やめにしませんか」とは、言わない。干した布団をバシバシ叩く人を見ると、それは素材をいためるだけ、「そろそろ、やめにしませんか」と思うけれども、ハートのかたちを描く人に、私はそうは言わない。

鶏肉や、牛肉、豚肉(羊肉も!)が、なぜあんなにおいしいかを、考えたことがありますか? 人類史30万年に対する、問い。私は肉を食べるけど、どれだけ、もう、ほんとうにどれだけ考えても、肉食は間違っている。どうしたって、ヴィーガンであることは、やっぱり、正しい。肉食は汚れていると、いってもいい。

我が家に子猫が二人来て、今日で一週間。猫は猫というだけで

我が家に子猫が二人来て、今日で一週間が経つ。猫は猫というだけでかわいいけど、子猫は、子猫だからとにかくかわいい。二人の子猫は、一人は咲さんに似ていて、みさきさんという名前で、もう一人は似てはないけどなつこくてかわいいくて、文ちゃんという名前を私がつけた。

咲さんはいないんだなあと思いながら、けれどもこの二人は二人で咲さんの生まれ変わりだと私は信じているから、いないんだなあと思うのだけれど、ほんとうにいないとは思っていない。

子猫が重なり合って眠るのを眺めて、私は酒を飲む。

みさきさんが、鼻風邪をひいていて、口を開けたまま寝ている。咲さんは風邪をひいたり病気をすることがほとんどなくて、18歳を過ぎた秋にいちど体調を壊したことがあったが、そのときは、ごはんをいっさい口にしなくなり、私の部屋の咲さん専用の椅子に、息をひそめてずっと坐っていた。あれは、ごはんを食べれば消化にエネルギーを使うことを咲さんが知っていたからで、消化のために費やされるエネルギー量というのは、ほんとうに大きいらしい。食べなければ痩せてしまうが、痩せた分は蓄えられていたものだから、少なくとも消化はしていない。とはいえ、咲さんの体はトイレットペーパの芯みたいに細くなってしまって、あのときはさすがに死を覚悟したのだけれど、そのあとすっかり治ってしまって、少しずつごはんを食べ、筋肉をとり戻し、高いところにもストンストンとジャンプできるようになった。私たちは、「スーパー咲さんだね」と口々に言い、だから、咲さんは死なないんだなと思って、安心していたら、今年の2月に死んでしまった。

会社は、1月末から自宅勤務が可能になって、それは咲さんの様態が悪くなったのとほとんど同じで、だから私はリビングでパソコン仕事をしながら、フリースの毛布に寝かせた咲さんの看病をした。生体エコーでは、ほとんど腎臓が残っていないことが分かって、尿を顕微鏡で見ると、棒状の細菌が渋谷の交差点の群衆みたいに、うようよいた。

書いているだけで泣いてしまうのだけれど、それにしても、1か月前には在宅勤務なんて考えもしていなかったので、咲さんが亡くなるまでの三週間、咲さんと過ごすために神様が世界をこうしてくれたんだなあと考えて、野球の開幕は延期になったけれど、感謝したり申し訳なく思ったりした。

話は戻るが、最初に咲さんが体調を悪くして、奇跡みたいに治ったとき、私は、もう咲さんは死なないと思ったから、2月になって死んでしまったとき、死んだ体を見ていないと何が起こったのかよくわからず、死んだ体を見ていると悲しくて悲しくてしかたがなくて、けれど、その気持ちのどこかで、死なないはずだったのにおかしなことになったと、私は感じていたという話を猫好きの人にしたら、「いえいえ、死なない猫はいません、猫も人も死ぬんです」と言うから、そんなことはないだろうと思った。

何から書こう、 書くことを生業にしているとはいえ、

何から書こう、

書くことを生業にしているとはいえ、しかし、書くことが億劫な日々。

プログラマーという職業の人に「週末は何をしているんですか」と訊ねたら、「勉強も兼ねて、ずっとプログラミングをしている」と言う。京都大学を出た人で、「ボクはセクショナリズムです」と言って、余計な仕事を引き受けない。部署のロールを超えた、いわれなき業務にはかかわりたくない、というわけだ。いっぽうで、かれは部署のロールにかんしては、きちんとやるべきことをこなしているので、セクショナリズムを周知させ、挨拶はしないし、チャットの返答は遅いし、ミーティングの声は聞きとれないほどに小さいにもかかわらず、人物としては評判があった。

かれが言う、週末は「ずっとプログラミングをしている」を聞いて、なんと異様な時間の過ごしかたなのだろうと、私は思ったのだけれど、それは条件反射的なもので、当然だけど、私がかれの週末の過ごしかたをどうこう言う権利も、必要性もない上に、私だって、同じように過ごしている。

かれの部屋には、テレビがないという。私もテレビは好きじゃないから、それはいいとして、かれはフライパンもヤカンも、皿や箸、フォークなど、あらゆる食器も持っていない。食事は、コンビニで買って、コンビニで食べる。家にゴミが出なくていい、と言う。ビールも飲まない。お菓子はそこそこ好きらしい。肌も髪も、爪も、カサカサしている、ように見える。

私は、人生の一時期の余暇を、文章を書くことで過ごしていた。文章に脈絡はあったり、なかったりしていて、あってもいいし、なくてもよかった。書きたいものを書いていたというのでもなく、読み切れるようなまとまった内容でも、垂れ流しのようないつ終わるともしれないものでもなかった。

いつ終わるともしれないものだったら、まだ終わることなく、私は書き続けていたのかとも、思う。つまり、いまは、書いていない。仕事ではなく文章を書いたのは、ほんとうにひさしぶりで、さて、何から書こうと思ったわけだ。

私は、かれとは違って、料理をする。今日は、昼こそ外食したけれど、夕飯に、豚バラスライスを炒めたのに、酒蒸しした玉ねぎ、じゃがいもを和えて、生姜とオイスターソースで味付けしたのを作ったし、子供の明日のお弁当に、豚肉の生姜焼きも準備した。あとは、詰めるだけ。